肉眼天文台

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日本で「貧乏ポスドク」になる前に考えてほしいこと

さて、今日のテーマはシンプルかつ少し奇妙な現象についての話。

 

それは、「なぜ人は自ら進んで条件の悪いキャリアを選ぶのか?」という問題だ。

 

これは、わざわざ砂漠でトヨタのプリウスをオフロード走行試験させるようなものだ。

あるいは、綺麗に試験用に整備されたサーキットがあるのに、わざわざ泥だらけの農道でそのために設計されていないフェラーリ 488 GTBを全開にするようなものだ。

できなくはない。でも、それをやる理由は何だろう?

 

普通に考えれば、そんなバカな真似をする人間は博士号までとった人間にはいないはずだが、日本のアカデミアでは、それにかなり近いことが日常的に行われている。


いわゆる「ポスドク」というやつだ。


まず、日本のポスドク事情から見ていこう。


年収はざっくり言うと300万〜450万円。

任期は多くの場合2〜5年。更新は「あるかもしれないし、ないかもしれない」。実にスリリングだ。


社会保険はある。が、退職金は基本ない。

ボーナス?それは都市伝説に近い。

 

ここで一度、静かに考えてみてほしい。

博士号を取り、専門性を極めた人間の市場価格がこれだ。


一方で、同年代の修士卒は企業で普通に500万、600万と伸びていく。


実に興味深い。

努力すると収入が下がるシステムだ。


つまりこれは、「高い専門性を持つ短期契約労働者」という、なんともエレガントな言い換えができる状態だ。

 

任期付き。

更新は「評価次第」。


この“評価”という言葉、実に便利だ。

何が基準かは曖昧だが、とにかく不安定であることだけは確実だ。


つまりこれはこういうことだ。


「数年後に職があるか分からない状態で、安い給料で高度労働をする」


もしこれを企業がやったらブラック企業として炎上する。

だがアカデミアでは「修行」と呼ばれる。


名前を変えると、どうやら許されるらしい。


一方で、欧米のポスドクを見てみよう。


例えばアメリカ。

年収はだいたい50,000〜70,000ドル(約750万〜1,050万円)。

そしてここで面白いのは、これは「最低ライン」に近いということだ。


さらに、多くのポジションでは、

有給休暇:最低でも年間10〜20日(驚くべきことに 普通に取れる)

病気休暇:別枠
医療保険:ほぼ必須で提供


つまり、「研究者である前に、人間として扱われる」システムになっている。


実に奇妙だ。研究職なのに、生活が成立する。


ここで比較してみよう。

項目      年収        休暇
日本ポスドク  約300〜450万円  取りづらい文化
欧米ポスドク  約750〜1,000万円  制度として確保

 

この差を見て「どちらもポスドクだから同じ」と言える人は、

たぶんトヨタ プリウスとレッドブルのF1マシンRB21の違いも気にしないタイプだろう。

 

さて、ここで一つの疑問が浮かぶ。


「なぜ同じ“ポスドク”という名前なのに、ここまで違うのか?」


答えは単純だ。

 

「考えずに進路を選ぶ人が多いから」


「研究が好きだから博士へ」

「流れでポスドクへ」


この“流れ”というやつ、実に危険だ。

なぜなら、流れに乗るとたいてい滝に落ちる。

 

欧米では博士人材は「高度専門職」として扱われる。

日本ではしばしば「次のポジション待ちの人」として扱われる。


この違いは、ちょうどフェラーリ 488 GTBをサーキットで走らせるか、渋滞の都内でアイドリングさせるかの違いに似ている。


同じ性能でも、使い方が違えば価値は激変する。


では結論に行こう。


もしあなたがこれから進路を考えているなら、選択肢はこうだ。


① 修士で就職する

日本企業は修士人材を非常に高く評価する。

給与は初年度から400万〜600万円程度。

昇給、ボーナス、そして何より「継続性」がある。


驚くべきことに、生活が安定する。


② 博士に行くなら、海外ポスドクを前提にする

年収:日本の約2倍
環境:競争はあるが合理的
キャリア:企業・アカデミア両方に道あり

少なくとも、「やった分のリターン」はある。

 

英語?必要だ。

競争?激しい。


だがその代わりに、

「ちゃんと給料が出て、ちゃんと休めて、ちゃんと評価される」環境が手に入る。


これはトレードとしては、かなりフェアだ。


③ 何も考えず日本でポスドクをする

これは……まあ、自由だ。


自由だが、あまりおすすめはしない。


理由は簡単で、「わざわざ難易度を上げる必要がない」からだ。

 

ここで重要なポイントだ。


私は「日本でポスドクをするな」と言っているわけではない。


「何も考えずにそれを選ぶな」と言っている。


なぜならこれは、

  • 不利な条件
  • 低い報酬
  • 不透明な将来


この3つが揃った、かなり完成度の高い“縛りプレイ”だからだ。


ゲームなら面白い。

現実では、あまり笑えない。


最後に一つだけ。


ポスドクになること自体は問題ではない。

問題なのは、「どこで、どの条件でやるか」を考えないことだ。


研究者は論理的思考のプロのはずだ。

であれば、自分のキャリアにも同じロジックを適用するべきだろう。

 

「とりあえず博士 → とりあえず日本でポスドク」

これはキャリアではない。

ただの惰性だ。


少なくとも、

「とりあえず博士 → とりあえず日本でポスドク」

というルートは、控えめに言って、あまり賢い選択には見えない。

優秀な研究者を育てる指針としての論文のインパクト&数KPIは正しいのか

あらかじめ断っておくと、誰かを攻撃するような意図ではなく、制度に対する疑問符としての提言であると宣言しておきます。

 

まず、個人的な意見ですが、率直に言って昨今の大学、特に旧帝大などが“博士号(優秀な研究者を育てる)のためのKPIとして論文のインパクト&数を設定している” のは、本質を見失ったほぼ最悪に近い指標設計だと思うんですよね。

 

1. アカデミア視点でも産業界視点でも、研究者の“質”と論文数は全く比例しなくないですか?

逆にここが比例すると思っている人がいたら、ぜひご意見を伺いたい。

誰がどう見たって、このご時世、論文のインパクト&数が出せるのは、研究者個人の能力より “ラボ規模・予算・人手” で決まる部分が極めて大きいですよね。

それをKPIにすると、
個人の能力を測るどころか、単純に“リソース勝負”になるのは数字に強い研究者であれば火を見るより明らかだと思います。

 

2. 博士号(優秀な研究者を育てる)のためのKPIとして機能しない(再現性がない)

優れた博士人材育成の指標に必要なのは、博士号取得後に所属組織を離れたとしても、ほぼすべてのグループで再現できる指標であるべき。

でも、論文のインパクト&数KPIは、誰がどう見たってラボごとの差が大きすぎて比較不能。

これは言い換えると、かつての「竹槍で爆撃機を落とせ」レベルの無茶振り。

 

3. 分野差・査読運の影響が大きすぎる

私の分野の合成有機でも、正直に言って“地味だが重要な仕事”は Angew 以上に載りにくい。
逆に、派手な反応開発などは載りやすい。

その結果、
• 本質的に優れた研究者
• たまたま派手なテーマが回ってきた研究者

が混ざって区別できなくなっている。

 

4. 本気で論文のインパクト&数をKPIにすると、歪んだ行動を誘発する

• 中途半端でも“派手な結果”を急ぐ
• 雑に突っ走った研究が増える
• 研究不正や過剰演出のリスクが上がる
• 丁寧に積み上げる科学が死ぬ

“数値目標で科学を壊す典型例”。

 

5. 「育てるKPI」になっていない

本来、人材育成なら、
• 独立してテーマを立てられる力
• 自分で問題を設定・解決できる力
• 再現性の高い実験スキル
• 論文ないしは社内報告資料として後世に残す文書を書く力
• コミュニケーション・協働能力
• 倫理観

• タフさ

こういう“人としての研究能力”こそが本来は評価されるべき。

 論文のインパクト&数は、その“結果の一部”でしかなく、育てるプロセスの指標には全く向いていない。
人材育成どころか、現場を疲弊させるだけ。

 

 6.  論文のインパクト&数KPIはいつ誰が設計したのか?

多くの場合、こういう数値目標を決める側は、

• 実験の重み
• 学生・スタッフの数
• 予算

• 装置の稼働
• 論文化の手間
• 合成反応の再現性問題
• 国際査読の運

などの“現実コスト”をほぼ理解していません。

 

KPIは本来、

“達成可能な範囲で、行動の質を高めるために置くもの”

ですが、現実不可能な数値を置くと、

• 行動を歪める
• 意欲ではなく疲弊を生む
• 結局KPIとして機能しなくなる

という“逆効果のKPI”になります。

 

 7. 育成の本質は「独立能力」なのに、数値指標はそれを測れない

5の「育てるKPI」の発展として、私が思う研究者としての成熟度は、本来以下の力で測られるべき。

 • 問題を自分で定義し、仮説を立てられる
 • 必要な知識や手法を自力で学び、使える
 • 迷ったときに方向づけできる
 • 他者と協働し成果を出す
 • 倫理的で誠実な研究ができる
 • 研究を継続する粘り強さがある
 • 研究の“面白さ”を理解している

でも、これができていれば、 論文のインパクト&数KPIが達成できるか問われればNoだと思います。

逆に、 論文のインパクト&数KPIが達成できた人が、 研究者としての成熟度を満たしているかもまたNoだと思います。

繰り返しになりますが、 論文のインパクト&数KPIは、「指導者のラボに配属された運の良さ」と「外部リソース」によって左右されます。つまり、育成の本質とKPIがズレている。

 

 8. 学生や若手を“消耗品化”する危険性

そもそもどんなKPIであれ、その達成が最優先になると、若手研究者が“高速で成果を生む部品”にされやすくなります。

結果として、

 • 失敗を許さない空気
 • 無茶なスケジュール
 • 質よりスピード重視
 • メンタル消耗
 • 退職・離脱の増加

現場が破綻する。

つまり、

"研究者を育てるどころか、むしろ潰すリスク"

をただただ増やしている。

 

 9. 世界的にも論文数は“育成KPI”として廃れつつある?

欧米の一部ではすでに、

 •「主要雑誌〇本」→ NG
 •「論文のインパクトより、貢献の質」→ OK
 •「再現性・透明性・共同研究能力」→重視

という方針に移行しつつあります。


例えば、

 • DORA宣言(サンフランシスコ研究評価宣言)
 • ライデンマニフェスト
 • UKRI(英国研究会議)の評価方針変更
 • NIHの“研究環境・アプローチ重視”

なども、日本国内で採択している東大やJSTなどが中心となって、現在の流れを変えていくべきなのですが。。。

 

こういう従来の誰が見たっておかしいKPI設計に異を唱えて変えていくには、誰かが人柱になってロビー活動するしかないのですが、そもそも日本のアカデミア人口も注目度も低調な現状では。。。

 

10. じゃあ、良いKPIって何?(代替案)

ここが本題です。

以上の問題提起を具体性・測定可能性・説得力のある形に落とします。

ポイントは以下です。

『KPIは「結果」ではなく「因果の上流」を測れ。

個人のコントロール外の変数は排除せよ。』


私が思う博士育成の目的(Objective)は、

「たとえリソースが最小でも、未知の問題を自律的に解ける研究者を作ること」

この目的のためにあくまで論文は副産物として扱い、

能力の再現性を測るためにKPIを設定する。


原則①:個人の制御不能変数を排除

ラボ規模 
予算 
指導教員のブランド 
査読運 

→ これらに依存する指標は KPI失格


原則②:代替不能であること

「良い研究者」という曖昧語はNG。

「この人がいなくても回るか?」

→ 回らないなら価値があるので、

能力を分解し、各能力にテスト可能なKPIを置く。

 

原則③:時間制約を必ず入れる

能力は「速さ × 正確さ」で測る。

5段階評価は幻想。

第三者が即答できるか評価項目か?

→ 評価に1日かかるKPIは運用不能。

 

この前提に立ち、“優れた研究者を育てる”ためのKPIとして私が適切だと思うのは、

KPI① 自律的研究設計能力(最重要:25%)

測定項目

  • 新規テーマの提案数

→ 年1-2件、A4で2枚を目安とした研究計画書

  • 研究仮説の検証可能性

→ 「3ヶ月で検証可能か?」に第三者3名による「Yes/No」評価

  • 失敗仮説の切り替え速度

→ 行き詰まりから次案までの期間(1ヶ月以内)


これは“大論文の有無”よりも本質的。

 

KPI② 技術の習得・運用能力(20%)

  • 再現性テスト

→ 自身の実験プロトコルを第三者(同分野D学生)が再現

  • トラブルシュート試験

→ 装置不調・反応不全などの想定トラブル5問に対し、60分以内に原因仮説を3つ提示

 

 


KPI③ 論文・技術文書作成能力(15%)

※ジャーナルは完全に不問

  • 論理構造評価

→ 10ページ以内の原稿を分野外研究者2名が読んで「何が新しいか説明できる」→ Yes/No評価

  • 図の自己完結性

図のみを見て、結論が再現できるか(Yes/No)

 

これはキャリアで最重要スキル。


KPI④ 共同研究・チーム能力(15%)

  • 外部連携実績

→ 学内外問わず、共同プロジェクト ≥ 1件かつ共著 or 技術貢献が明確

  • 後輩育成

→ 指導した学生が独力で実験を回せる状態になったか(Yes/No評価)


KPI⑤ 研究倫理・データ管理(10%)

  • 研究ノート完全性

→ ランダム抽出した実験3件について、第三者が再現可能か

  • データ公開準備度

→ Raw data / script / log が即時提出可能か

 

KPI⑥ 持続可能性(10%)

  • 稼働時間

→ 平均労働時間週60時間以下

  • 研究計画の長期視点

→ 博士修了後3年の研究ビジョンをA4・2枚で説明可能

 

研究者として長く生きるには不可欠。

 

11. 論文や破壊的KPI

実は先のKPIは、これでも少し保守的なKPIにしています。

というのも、上記はあくまで論文至上主義を構造的に無効化するだけのKPIです。

以下では、博士を「コスト」から「資本」と捉え、

修了生 = 研究資産の塊
ラボが年々強くなる構造を目指すKPIを提案します。

ただ、上記と異なり、以下は教員の質も同時に露呈するKPIになるため、

育たないラボは、学生ではなく指導構造が悪いという示唆になります。

そういう意味で保守的でない破壊的KPIです。

 

KPI-M1:研究スループット増幅率(最重要:35%)

この博士課程学生が入ってから、ラボの「単位時間あたりの価値創出量」はどう変わったか?を、数値化

→ 修了時のラボ全体成果 ÷ 入学前3年平均


成果定義

この場合は外部に出せる成果(論文・特許・技術資料)は、研究室単位でカウントし、個人では一切カウントしません。

 

これにより、運要素の強い論文を評価として残しつつ、個人評価の差別化のための指標からは除外できます。また、その世代の縦横のつながりや連携強化という副次効果を期待できます。

 

KPI-M2:ボトルネック破壊数(25%)

以前は「無理」と言われていたことが、いくつ「普通」になったか?を数値化

測定に2週間かかっていた → 2日
再現率30% → 80%
属人化していた装置 → マニュアル化

 

数値目標

博士期間中に重大ボトルネック破壊 ≥ 2件

 

KPI-M3:知識の構造化・移転能力(20%)

この人の知識は「頭の中」にあるか、「組織」に残ったか?の数値化

→ 標準プロトコル / 設計テンプレ / 判断フローなどを第三者(研究室内や共同研究先)が使って成果が出た数

 

数値目標

再利用された知識資産 ≥ 3件
利用者が本人以外 ≥ 5人

 

KPI-M4:研究スピードの加速度(10%)

仮説→検証→判断のサイクルは速くなったか?の数値化

→ 仮説1件あたりの平均検証時間について、博士1年目 vs 修了前6ヶ月の差分

 

KPI-M5:後継者生成能力(10%)

この人が育てた人間は、さらに誰かを育てられるか?の数値化

→ 直接指導した後輩 ≥ 2名が独立してテーマを回せる(Yes/No評価)

 

以上、年内最後の投稿です。

機会があれば、これが本当に機能するか調べてみたいですね。

みなさま良いお年を。

 

なぜ「うつの人」は過保護で、倒れる寸前で働き続ける労働者は放置されるのか

まずは、擦り切れる寸前まで労働市場の最前線で戦う皆さま、毎日ご苦労様です!

平等かもしれないけど、明らかに不公平だと思う過保護制度の話をします!

 

毎日、必死に働いている。

心身がしんどくても、仕事は休めない。

生活があるから、辞める選択肢もない。


そんな労働者が山ほどいる一方で、

「うつ」と診断された人には、休職制度、給付金、配慮、理解が用意されます。


もちろん、うつの人を責めたいわけじゃない。

でも正直、こう思ったことはないだろうか。


「なんで壊れた人だけ守られて、

壊れる寸前で踏ん張ってる俺らは守られへんねん」


これは感情論じゃないです。

制度の設計として、本当におかしいと思っています。

 

うつの人が「過保護」に見える理由

まず事実として、日本の制度はこうなっています。

医師の診断がつくと、

休職
傷病手当金(給与の約2/3)
障害年金
など、明確な支援ルートが発生することになります。
 
すると当然会社側も、

「無理させたら問題になる」
「最悪、自殺されたら責任問題」
という理由で、かなり慎重になるわけです。
 

ここで重要なのは、

これは優しさではなくて、「リスク管理」に過ぎないということ。


制度も会社も、

「目に見える病気」

「診断名がある状態」

にしか反応できない。

これが感情を持った人との最大の違いかもしれません。

あるいは、貴方のすぐそばにいながら、

貴方の心身のしんどさに気がつかないのは、

もう感情を持たない、人ではないナニカなのかもしれません。

 

一方、働き続ける労働者はどう扱われているか、

毎日働いている人はどうか。

出勤できている
給料をもらっている
数字上は「問題なく稼働している」

この時点で、制度上はこう判断されます。


「自己管理できている=支援不要」


どれだけ疲れていても、

どれだけ追い込まれていても、

倒れていないし、診断もないので“問題なし”。


実際、日本では

メンタル不調を感じながら働く人は労働者の3〜4割にものぼります。
でも、支援制度を使えるのは

「診断後」

という大きな断絶があります。

 

平等だけど、不公平な理由

ここが一番のポイント。

今の制度は

「同じルールを全員に」

という意味では平等。


でも現実は、

壊れた人 → 守られる
壊れていない(ことにされている)人 → 放置される

という構造になっています。


これは公平じゃない、

壊れてから守る設計であり、
壊れそうな人を守る設計になっていないのです。

 

というか、壊れる寸前で踏ん張ってる人を守らないと、

最後は全部壊れた人になるでしょ。


結果として、

「壊れるまで頑張ったやつが一番損をする」

という歪んだ不公平な世界ができあがっています。

 

これは「うつの人が得している」話じゃない

誤解してほしくない。

うつの人が楽してるわけでも
生活保護が天国なわけでも
支援が十分なわけでもない。


ただ、

「支援の入口があるかどうか」

これだけの違い。


問題は、

労働者側に、入口が存在しないこと。

なんです。

 

本当に必要なのは何か

叩くべきなのは人じゃない。

叩くべきなのはこの前提。


「働けているなら大丈夫」
「限界までやるのが普通」
「壊れたら自己責任」


この前提がある限り、


早めに休む人は叩かれ
無理する人は放置され
結果として社会全体の生産性も落ちる


という、誰も得しない構造が続きます。

 

最後になりましたが、これは

「うつの人 VS 労働者」

の話ではありません。


「壊れた人しか守られない社会でいいのか?」

という問いなのです。


働いている人が、


壊れる前に
罪悪感なく
現実的な支援を受けられる


そんな仕組みがない限り、

真面目に働く人ほど、静かに削られていきます。


この違和感に同じ感覚を持っている人は、

きっと少なくないはずです。

これをただの「文句」で終わらせず、

言語化して、共有していくこと自体に意味があると信じています。

 

 

 

界隈で少し話題になった博士課程支援の件について

簡潔に言うと、今回の施策は博士課程支援を今後十数年をかけて、540万円を目指すということでした。

 

やる前から否定的なことを言うのはあんまり好きではないのですが、

特定の国立大学が博士課程支援を拡充することによって、

他大も含めてパイを取り合うことで、

自然と待遇や環境の改善の好循環が回るという絵を描いたのであろうと想像しています。

 

しかし、はっきり言って、その想定はかなり楽観的です。

実態としては、明石市が周辺都市から子育て世代吸い上げた構図のように、

特定の国公立大が博士志望者を吸い上げて、

博士進学者の総量は増えないオチが見え見えですよね。

 

構造的に見て、この施策は

 

博士進学者を“増やす”

 

というより、

 

既存の博士志望者を“集め直す”

 

だけになる公算が大きいと思います。

 


言い換えれば、制度設計上ほぼ必然的に、

 

博士進学者の総量はほぼ増えないで、分布が変わるだけ


になります。

 

十数年後に起きるシナリオは、

 

特定の国立大や一部私大の博士待遇が突出

他大学博士課程が相対的に不利

志願者は流入するが博士総数は微増

地方大・中堅大の博士課程が空洞化

 

ほぼ確実にこれです。

 

これ「パイを増やさず、取り合う政策」だと思うんですけど、

ちゃんとした社会学者やら政治経済学社などの専門家というかに相談した結果なのでしょうか?

 

少なくとも評価者側にそういった専門家が入っていれば、

この政策が望まない結果を生むことは進言があったと思うのですが。。。(それでもやらないよりはマシという結論なら仕方がないですが)

 

そもそも博士進学者の“総量”が増えない原因って本当に在学中の収入ですか?

① 博士進学を阻んでいる最大要因は「修了後の不安定さ」

540万は確かに比較的大きい金額ですが、博士進学を躊躇させている本丸は、

修了後のポスト不安定
任期付き地獄
給与が企業より低い
年齢ペナルティ

修士卒就職が最適解

ここが解決されていない限り、

「じゃあ博士行くか」

とはならないでしょ。

 

② そもそも博士進学の意思決定は“学部・修士のかなり早い段階”で決まる

多くの人は、学部〜修士で
博士=リスク高=割に合わない

企業行った方が合理的


と判断しているわけですよ。

その層にとって、たとえ540万出そうが、そもそも検討対象にすら入らないと思うんですよね。

 

③ 行動が変わるのは「もともと博士に行く層」だけ

実際に動くのは、

博士進学は決めている
でも大学選びで迷っている
家計や将来に多少不安がある

 

この層が

「じゃあ540万一択」

になるだけ。

 

結果、むしろ起きうる副作用として、地方大・中堅大の博士課程がさらに壊滅して、悪循環が加速すると思います。

 

繰り返しになりますが、この施策は人材の“再配置”にすぎないので、日本全体の研究力の底上げにならないと思います。

 

では、博士進学者の総量を本気で増やすなら何が必要か?

できないのを承知で羅列すれば、以下の4つは重要です。

修了後の常勤ポストの増設
任期付きの給与を企業並みに引き上げ
30代後半以降のキャリア破綻リスクの低減
全国一律での博士待遇底上げ(重要)

これは「一大学の英断」ではなく「国家設計」レベルの話ですが笑

 

なので、辛口な総括をすれば、この施策は
「やらないよりはマシ」
だが、
「博士人口を増やす施策ではない」
成功しても、
「特定の国立大が勝ち、日本全体は。。。」

です。

 

でも、さらに根本的な問いとして、日本の博士人口そんなに増やす必要ありますか?なんですよ。

本当に日本の博士人口を本当に増やすには、

みなさんうっすら気づいているのに見て見ぬふりをしている「暗黙の前提」をいくつも壊さないと無理です。

 

まずは、日本において博士進学は「合理的選択」ではないという現実を直視しましょう。

 

今の日本で博士に行く人は、

研究が好き
多少のリスクを許容
ある程度の経済的耐性

という親ガチャ選抜済みの少数派です。

ここに金を積んでも「母集団」はほぼ広がらない。


なので、そもそもの前提が間違っていて、

「誰を増やすか」ではなく「誰が脱落しないか」

の話にしないといけません。

あるいは、これまで何度も 「誰を増やすか」に目線を逸らされてきたとも言えます。

 

壊さないといけない前提①

「博士は教育の延長」という建前

博士課程=学生
支援=奨学金・フェローシップ
労働ではない

 

その結果、

 

企業から見たら「職歴なし」
年齢だけが積み上がる
社会保障・信用が弱い

 

という扱い。

したがって、

 

540万円が雇用もセットなのか。

ただのフェローシップなのか。

 

はかなり重要です。

 

博士課程を完全に「研究職(雇用)」として扱い、

労働契約
厚生年金・失業保険
職歴として明確にカウント

この壁を壊さないことには、お金を詰む以前の問題だと思います。

もはや、博士号を必須とする教授職などは親ガチャ選抜しか来れないように、
学問の扉と階級の地位を狭く閉じているとも言えるかもしれません。

 

壊さないといけない前提②

博士 → ポスドク → 任期付き助教 → さらに任期という30代後半でも、まだまだ不安定な環境が続くという扱い。 年齢的に家族形成と完全に衝突します。

 

一方、修士卒企業組は30代で30代で管理職や専門職に就き、家族形成も進んでいます。

しかも、日本特有の終身雇用はまだまだ根強いときたわけです。

 

市場原理に真っ向から反しますが、

博士修了者は国研・大学に最低10年は常勤配置し、
ダメなら民間へのトランジション保証くらい

やらない限り増えないと思います。

 

壊さないといけない前提③

 これはかなり根深いですが、「研究者は清貧であるべき」という無言の倫理です。


金を求めるのは不純
研究は使命
給料の話をするのは品がない

 

これがある限り、たいての人は来ない。

必要なのは、

研究者が高給でも正当
成果に対して報酬が高いのは健全
企業より稼げる研究者がいていい

文化の破壊レベルの改革が必要。

 

壊さないといけない前提④

「博士はアカデミア専用資格」である。

博士=大学・国研
企業ではオーバースペック扱い

という扱い。

その結果、

博士進学=キャリアの一本道
これでは失敗時の回収不能リスクが大きすぎる。

 

博士→企業への制度的パスを整備する。

 

博士課程中の企業雇用
企業R&Dとの人事交流
博士号が昇進・給与に直結する評価制度


博士が

「手に職がつく資格」

に変わらない限り、母集団は増えない。

 

ここまで壊して、やっと540万が意味を持つと思います。

 

たしかに、博士課程に540万と言えば、聞こえはいいし、やった感も出るので気持ちいいと思います。

ですが、制度破壊を前提として、

博士が“合理的”レベルにまで空気感を変える制度破壊を伴わないと、

540万は親ガチャ勝者が得するだけの制度言われると思います。

 

最終的に現実的に起きるシナリオは、

このまま国公立一部トップ校に博士志望者が集中


地方・中堅大の博士課程は空洞化


博士総数は横ばい or 微減


研究者の平均年齢は上昇


企業に行く優秀層は戻らない

さらなる縮退

 

結局、日本は
「博士を増やしたい」と言いながら
「博士になると不利な社会」を維持している。
政策は全部「対症療法」

今回の政策は吸い上げになり、“見た目の成功”すら怪しい。

 

日本の学術って、

 

「貢献した人ほど何も返ってこない」

 

構造を内包してるから、気づいた人から距離を取っていくのだと思います。

私は基礎科学の価値を否定しないが、基礎科学を“神聖化する語り口”を否定する。

まず前提として、

 

「基礎科学の礎の上にテクノロジーがある」

 

という命題そのものは論理的には間違ってない。

 

ただし、現代の科学者界隈において

それが現実世界でどう機能してきたか、

誰がどんな文脈でそれを叫んでいるか、

ここが問題である。

 

① 卵と鶏問題に近い

実際の歴史を見ると、

蒸気機関 → 熱力学(理論は後追い)
半導体デバイス → 固体物理の洗練(現場の試行錯誤が先)
ワクチン → 免疫学の体系化(経験知が先)

のように、

 

「技術が先、理論が後」

 

の例は山ほどある。

 

よくある主張として、

 

基礎科学 → 応用科学 → 技術 → 社会実装

 

だから、基礎科学がなければ技術は生まれない

というのをよく見かける。

 

たしかに、歴史的にも実践的にも嘘ではないけれど、

同時に真実でもない、

現実は


技術的試行錯誤 ↔︎ 経験知 ↔︎ 理論化 ↔︎ 新技術


という相互フィードバック系なのに、

なぜか基礎科学だけを「起点」に据えるのは、

歴史の捏造に近い、かなり都合のいい単純化なのである。

 

② 「現場で叫んでる基礎科学者」への不信感

ここがかなり重要なポイントになる。

実際、

 

「人類の未来のため」
「科学の発展のため」
「長期的には必ず役に立つ」

 

という免罪符ワードを使いながら、

 

自分の研究テーマを守りたい
競争的資金を取りたい
批判されたくない
成果責任を負いたくない

 

っていう人間として極めて浅はかな欲望を、

高尚な大義でラッピングしている人が残念ながら多数いる。


まさに「詐欺師まがい」と言っても過言ではないが、

その見え透いたラッピングだけならまだしも、

態度・語り口・責任回避に対する嫌悪感が生むのは、

基礎科学者への不信感のみである。

 

③ 問題は「基礎科学」じゃなく「物語の使い方」

本質的には、


基礎科学は必要
好奇心駆動の研究も価値がある


これ自体を否定する必要はない。

でも問題なのは、


成果が出ないことへの説明責任を放棄
最初から社会との接点を作る努力をしない
失敗のリスクをすべて「未来」に丸投げ
批判すると「反知性主義」扱い


こういう物語の使い方なんだと思う。

要するに、

「好きなことをやりたい」こと自体は悪じゃないのに、

それを“人類のため”と偽装する瞬間に胡散臭くなる。

 

すなわち、好きなことをやっている事実を隠し、

崇高な使命にすり替えるのが問題。

不誠実に「これは人類の未来だ」と主張することで、


批判不能になる
失敗が評価不能になる
税金・資源の配分が歪む


これらは科学や学問自由ではなく、

科学を盾にした無責任に他ならない。

 

④私の立場

私の立場は

 

基礎科学否定ではない
技術至上主義でもない

 

「綺麗事を振りかざす態度」が

あなた方、基礎科学者の信用を失い、

学問の自由を失い、

基盤研究費を失った歴史を生んだのだと自覚し、

反省し、

未来の科学のために失った信用を取り戻していただきたいのだ。


むしろこれは

科学を神聖化しない、かなり健全な視点だと思う。

 

基礎科学も技術も、

人間の欲・偶然・現場・失敗の上に成り立ってる。

それを忘れて「人類の未来」を盾にするな。


⑤研究支援の設計

研究者の「正直さ」に報酬を与えるべき。

はっきり言って今の制度はこの真逆ですよね。

現状は、

 

大きく盛った方が勝つ
確信があるふりが評価される

 

ですが、あるべき姿としては、

 

誠実な失敗報告が次の資金につながるべきだと思います。

 

これは個人的な意見ですが、

誇大広告の論文より、

誠実な失敗報告の方が何十倍も価値があります。

 

⑥基礎科学を守る方法

基礎科学を守る一番の方法は、

皮肉にも基礎科学を“万能”だと嘘をつかないことだと思います。

そして基礎研究支援とは、

未来への賭けではなく、

不確実性をどう引き受けるかの社会的合意の結果である。

 

毎日消耗して寝る間も惜しんで、

Nature、Cell、Scienceのような誇大広告雑誌に、

論文を通そうとして自分の首をしめつづけている基礎科学者に伝わらないと思うけど、

まぁ語りました。

ヨーロッパSeason1〜プロローグ〜

関空からタイとトルコでトランジットを経てのヨーロッパに着きました。

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いとしのチャンビール
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タイの空港の像1
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タイの空港の像2

 

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トランジットの合間の観光
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今回はシンガポールの時と違って、

事前に国内でできる限りのビザの手続きをしてきたのですんなり入国。

SIM問題も今は時代が進んで現地SIMを買わずとも、

日本のSIM維持のために変えたpovoの海外ローミングでなんとか2週間ほどやり過ごす。

というのも、恒例の現地SIMの購入には住所が必要で、

部屋のオンライン内見後に、前金支払いとオンラインでの仮契約は完了しているものの、現地での最終承諾のサインが必要という仕組み。

 

※諸事情によりおよそ一年寝かせてから投稿しています。

博士号取得後6年の振り返り

ここ最近お気持ち表明が多かったので、楽しい話題を振り返ってまとめておこうと思います。あくまで博士号持ちあるいはこれから目指す方の皆さんへの勇気付けのために。

• ネットライター

知り合いからの依頼で日本出国前に何記事か納品しました。こちらに来てからは、副業の規定等で一旦お休みしていますが、楽しかったので、また機会があれば再開したいなというところ。

 

• 小説執筆

小説家になりたいと思ってたりした思春期もあったので、人生経験と言葉の引き出しも増えたし、そろそろ書けるのでは?と思って書いてみた。これもまぁ楽しかったので、いいネタが思いついたらまた書いてみたい。

 

• コンサルタント実施

広義での化学に関する困り事や課題に対するソリューション提示や、化学の特定分野における最近の動向に関する例の紹介など、どちらかというと化学を専門外とする方からの依頼が多い。

 

• ワーキングホリデー(以下、ワーホリ)や海外移住の手続き支援及びお悩み相談

経験と言っても自身は2回しかないのですが、書類準備手続き補助、草稿作成時の壁打ち&添削、海外生活の注意点や賃貸契約の手順など、フォローさせていただきました。ワーホリや海外移住って、いつ始めてもいいんです。が、いつから渡航したいが決まっている場合、逆算して書類と手続きの順番をテキパキ進めないいけません。役所に行って、はいおしまいではないので、書類や手続きが間に合わないと、直前に飛行機を予約する羽目になって費用がかさむなんてことも。。。

 

• MSCAフェロー化

額面見てひっくり返りました。

正直、物価そんなに日本と変わらへんのに、MSCAフェローになったらボーナスなしで年収1本円貰ってしまう計算になりました(今年から賃上げしてくれるみたいです)。税金も2割強なので、手取りで年収0.7本強くらいですね。ラボにある装置類の半分近くを管理して、エクセルで試薬管理して、さらに何件か事故を未然に防いでたので、サラリー上乗せするから、 MSCA通らなくても、ラボマネやってくれないかという話はあったのですが、まさかそこまで爆上がりするとは思ってなかったので、衝撃的でした。

なんだか今の日本で実しやかに浸透しているうわさ話の多くを国外に来て破壊してしまっているので、一般論はあくまで一般論として語られるうわさ話に過ぎないのかなと思っている次第です。

 

例えば以下、

・キャリアに穴をあけると仕事につけなくなる

一昔前ならそうだったのかもしれないけど、少なくとも今は違うと思う。まぁそもそもキャリアとか気にするような人がいかにも言いそうな内容やけど、キャリアとか気にしてもしなくても、ちゃんと結果を出してりゃ、全くそんなことはなかった。もちろんその分の苦労と苦悩は人よりもたくさんした。

 

・休むと信用を失う

日頃から結果による信用を積み上げてない場合は、休むと信用を失うかもしれないけど、少なくとも、日頃真っ当に働いてるなら、それは真っ赤な嘘、休んだくらいで失う信用とは?MSCAの書類を2ヶ月前に作成したけど、ボスのサマーバカンス期間中は一切返信もなく音信不通だった。だからといって、私のボスへの信用は変わらなかったし、逆も然り。