肉眼天文台

食メモとかたまに囲碁とか趣味についての雑記です

kgs3kが囲碁を考える

囲碁やるんですって言うと
たいてい考え方がわからないとか
どこに打ったらいいかわからないとか
がテンプレの返事で返ってくるのだけれど

まぁ、その返答の真意は
これ以上その面白くない話を続けるな
ってことなんだろうけど
真剣に考えてみると
人間って自由になりたいとか自由を訴える割には
自由すぎる状況を与えられると
どうしていいか分からないって人が
多いと思うんですよね

そしてその状況に対して
最初の一歩も踏み出せない(一手も打てない)

それでたいていの人は最初に
マニュアルとか定石を求める
せっかく自由に打てたんだけど
自らその可能性のほとんどを捨ててしまっている

ここで負けたら明日の飯に関わるような
プロでもないのだから
必ず勝たなきゃいけないわけでもないし
自由にたとえ非常識な場所に打ったって
そこに自分なりの考えがあれば構わないはずです
あるいはそこに考えなんてなくて
とりあえず適当に石を置いて
後から考えてもいいはずです

で、当の本人は毎回何かしらのコンセプトを持って打とうとしていますね
シンプルなありきたりなものでは
直線的に打つとか
とれる(と思った)石をその時に取りに行くとか
とにかく相手の石の外に打つとか
それぞれのその逆もしかりです

コンセプトを持って打つときに
自ら自由を制限する行為の一つなのかなとか
思うこともありますが
そのコンセプトに意味がなくても
その行為に自分としては意味がある
(自分にとって価値がある)と思っているので
別に意味がなくても
それで囲碁を楽しめているからいいんですよね

自分としてはコンセプトを持って打つことで
もちろん勝てれば嬉しいけれど
仮に負けてもその中で
自分で納得できる良い手が打てれば
それはそれで楽しめている

そして囲碁には相手がいて
その相手も自分と同じように意思を持って
あるいはなんの意図もなく打ったりしている
その相手の手から学ぶことは本当に多いですね
強いとか弱いとかは関係なく
自分では考えもしないような手を打たれると
どういう考えで打ったのか、
あるいは打った本人には
そこになんの意図もなくとも
その手を考察する時間はとても楽しいものです

と、ふと思って考えてみたことをつらつらと書いてみた